西園寺公経


人物説明(ウィキより転載)

西園寺家四世の西園寺公経です。

公経が相続した当時の西園寺家は後世の基準からすると羽林家に相当するような家格で中級と上級の中間ぐらいの階層に属しており、その血統にお
いても大納言止まりの家々との婚姻が多く見られます。

公経は十代を平氏政権下に於て過しますが、曾祖父平頼盛との所縁も有ってか父実宗よりも早く昇進を果たして、平家滅亡後に新政権が誕生した1190
年代初頭には正四位下左少将として公卿の仲間いりの一歩手前まで進んでいました。公経はこの頃に一条能保の娘を娶ります。
能保は源頼朝の同母姉妹を妻に迎えていた縁故に因って新政権の誕生後に権中納言まで進みます。つまり公経の妻となった女性は頼朝の姪に中り、
この婚姻が西園寺家隆盛の礎になったことは間違いないでしょう。

さらに西園寺家隆盛の転機になったのが承久の乱です。
将軍家の親族として順調な出世を続けた公経は正二位大納言の地位を占めていました。もし後鳥羽院の挙兵が成功していれば公経は大納言を局官と
して隠居し西園寺家が清華家に数えられるような事にもならなかったでしょうが、この乱によって公経はさらなる飛躍を遂げることになります。

乱後すぐに内大臣に進んで承久の乱後の京都政界と鎌倉幕府を結ぶ実力者として翌年には太政大臣にまで昇ることになります。

2007/08/24/上梓

藤原実季 ・・・藤原北家閑院流西園寺
藤原公実
藤原睦子 ・・・藤原北家小野宮流
藤原通季
藤原隆方 ・・・藤原北家勧修寺流甘露寺
藤原光子
平氏 ・・・堂上平氏
藤原公通
藤原師実 ・・・藤原北家難波氏
藤原忠教
藤原氏 ・・・在原氏
藤原氏
藤原実宗
藤原俊家 ・・・藤原北家頼宗流持明院
藤原基頼
源氏 ・・・光孝源氏
藤原通基
藤原国仲 ・・・桓武平氏
藤原氏
藤原氏
西園寺公経
藤原俊家 ・・・藤原北家頼宗流持明院
藤原基頼
源氏 ・・・光孝源氏
藤原通基
藤原国仲 ・・・桓武平氏
藤原氏
藤原基家
源師忠 ・・・村上源氏
源師隆
源氏
藤原氏
平正盛 ・・・桓武平氏伊勢平氏
平忠盛
平頼盛
藤原宗兼 ・・・藤原北家水無瀬庶流
池禅尼
藤原氏 ・・・藤原北家日野流
大納言局


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