西園寺公宗


人物説明(ウィキより転載)

鎌倉末期の西園寺当主であった西園寺公宗です。

西園寺家は公経以来代々武家伝奏として鎌倉時代には隆盛を誇り、父実衡が若くして亡くなったために若い公宗が当主となります。
鎌倉幕府崩壊の凡そ10年前の事でした。以後勢力家の当主として官位を順調に上がり、僅か15歳で参議となり、幕府が崩壊した
1333年には弱冠24歳で正二位権大納言と云う地位に有りました。

武家伝奏として朝廷に於ける幕府の代弁者として大きな権勢を誇っていた西園寺家は建武親政によって当然没落することになり、公宗
も役職を解かれ日陰の身に追いやられてしまいます。

公宗は親政二年目の1334年に北条残党などと手を結んで政権を覆すことを目論みますが密告に因って失敗。流罪となって処刑されて
しまいました。政権転覆の首謀者ですから本来西園寺家は復帰出来ないところでしたが、その後建武親政が崩壊。持明院流の北朝が成立
したことにより再び陽の目を見ることになり、息子の西園寺実俊は父の極官を超えて従一位右大臣にまで昇り、彼の子孫は明治維新まで
堂上公家としての地位を守り続けました。

猶、下記の系図の内で西園寺実衡の母については経子を実衡准母とする場合もあり、実衡の実母で無い可能性が高く、その場合は家女房
の所生と考えられます。
母方は二条家の出身で藤原定家や飛鳥井雅経といった鎌倉前期の有名な文人の血を引いています。宇都宮頼綱は有力な関東御家人で北条
時政の娘婿ですが、幕府の内紛に巻き込まれて出家。法然に師事する傍ら和歌の世界でも力量を示して藤原定家と親しく交際しました。

2007/10/26/上梓

西園寺実氏 ・・・藤原北家西園寺家
西園寺公相
家女房 ・・・不明
西園寺実兼
中原師朝 ・・・中原氏西大路流
中原氏
西園寺公衡
土御門通方 ・・・村上源氏中院氏
中院通成
一条氏 ・・・藤原北家持明院流一条氏
源顕子
西園寺実衡
藤原資経 ・・・藤原北家勧修寺中御門氏
藤原為経
藤原氏 ・・・藤原北家小一条流
中御門経任
中御門経子
西園寺公宗
藤原定家 ・・・藤原北家御子左家
冷泉為家
西園寺氏 ・・・藤原北家西園寺家
冷泉為氏
宇都宮頼綱 ・・・藤原北家宇都宮氏
宇都宮氏
松殿師家妾 北条氏 ・・・桓武平氏北条氏
二条為世
飛鳥井雅経 ・・・藤原北家師実流飛鳥井氏
飛鳥井教定
大江氏 ・・・大江氏
飛鳥井氏
春日局
昭訓門院女房


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