梶川頼照


人物説明(ウィキより転載)

今回は赤穗事件の登場人物の一人である梶川与惣兵衛です。
梶川氏は織田氏の一族と謂われ(流祖不明)七百石を知行する大身旗本でした。その梶川氏に嗣なく、養子として迎えられたのが梶川頼照です。頼照
は下記の通り梶川家の血筋を引くわけでは有りませんでしたが、先代の妻の弟に中るという縁故によって養子となりしました。
家督相続後、順調に出世を遂げ浅野長矩の刃傷事件を経て五百石を加増されて七十七歳の天寿を全うしました。

さて頼照の実家は土岐氏であり、斎藤道三によって追放された土岐頼芸の曾孫にあたります。頼芸の子孫は諸方を転々として豊臣家を経て家康に保
護されて旗本として数家が立てられました。
母方の山岡家は六角氏の重臣であった近江山岡家であり、明智光秀に敵対した山岡景隆・道阿弥兄弟と同族です。この家系も土岐氏と同じく豊臣家を
経て旗本となった経歴を持っています。

2009/06/27/上梓



土岐成頼 ・・・清和源氏美濃源氏土岐氏
土岐成房
土岐頼芸
土岐頼次
六角高頼 ・・・宇多源氏佐々木源氏六角氏
六角定頼
六角氏
土岐頼泰
・・・不明
湯島武房
湯島氏
梶川頼照
山岡景就 ・・・大伴氏設楽流山岡氏
山岡景民
山岡景定
山岡景重
山岡氏


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