この家は江戸時代に数次に渡って家系が変わっています。(永井・飯田・山下等) 地下家伝に於いて確認できる初代は戦国時代の藤井康則ですが、流系未詳です。 江戸初期には六位大舎人止まりでしたが、のちには従五位下大舎人助まで昇進する事もありました。 藤井姓となっているので百済系の渡来人である葛井(藤井)氏の末裔かもしれませんね。 大舎人 藤井康則 ─飯田康重 ┬飯田重高 ─飯田廉重 ─飯田重長 ─飯田常祥 ─飯田重好 =山下伴政 =斎藤政信 ─永井光郷 =永井頼郷 ┐ ****─1555│1536─1609 1564─1641 1599─1679 1645─1705 1690─1759 1711─**** 1732─1786 1756─1793 1765─****│ │ │ │ ┌───────────────────────────────────────────────┘ │ │ │ └永井吉郷 =永井長常 ─永井長守 ─永井源清 ┬永井常名 │ 1798─**** 1813─**** 1815─1830 1823─****│1841─**** │ 片山長韶子 │ │ └永井清朗 │ 1864─**** │ │大舎人 └小畠生久 ─小畠生福 ─小畠福久 ─小畠昌房 ─小畠匡之 =麻田安之 =桂頼中 ┬桂頼貞 ****─1616 1575─1647 1600─1671 1642─1714 1689─**** 1692─1732 1707─1753│1731─1747 麻田高永子 桂草孝子 │ ├桂頼元 │1737─1753 │ 改姓藤原 └桂頼永 =近藤義休 ┐ 1742─**** 1689─1765│ │ ┌───────────────────────────────────────────────┘ │ =近藤義始 ─近藤義路 ─近藤義明 =近藤義忠 ─近藤義一 ─近藤義裕 │1720─1760 1748─1803 1773─1821 1805─1842 1828─**** │河野通昆子 徳岡久明子 └近藤義始妻 ※永井長常と長守・源清は生没年からすると親子では有り得ませんが、関係不明の為、地下家伝の記載のママにしておきます。 ※近藤義休以降は同じく大舎人に補されていとはいえ、まったく別の家ですが、便宜的に続けて記載しています。 2009/08/30/上梓 2009/09/06/追記(近藤義一子・永井源清子)
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