藤原為憲


人物説明(ウィキより転載)

承平天慶の乱に於いて藤原秀郷に属して活躍し、後世に秀郷流・利仁流と並んで武家藤原氏として繁栄した工藤流藤原氏の祖となった
藤原為憲です。

為憲は藤原南家の末流で、遠祖の正三位参議藤原雄友の子供の一人である藤原弟河に始まる家系に産まれましたが、この家系は五位止まりでキで
の出世は望めない家柄でした。父の維幾は父祖と同じく地方の国司の道に進み、常陸介となって在地の有力者である平高望の娘婿と為りました。その
関係(為憲は平貞盛・将門等の従兄弟)から平氏の内紛に巻き込まれて行きます。彼の子孫は伊豆・遠江・駿河などにおいて繁栄していきます。

為憲はこの時代の一国司として比較的扇系図が埋められる方ですね。彼の父祖は代々都の中下級貴族と縁組をしてきたようです。
平高望の母については諸説あるようですが、一応橘氏としておきます。また坂上顕守については手元の坂上系図には見当たりませんでしたが、世代的
には坂上田村麿の甥辺りでしょうか。

2009/09/30/上梓

藤原雄友 ・・・藤原南家乙麿流
藤原弟河
蘇我石川氏 ・・・武内宿禰流蘇我石川氏
藤原高扶
藤原真友 ・・・藤原南家乙麿流
藤原氏
藤原清夏
・・・東漢氏流坂上氏
坂上顕守
坂上氏
藤原維幾
桓武天皇 ・・・皇族
万多親王
藤原小屎 ・・・藤原北家魚名流
正行王
王氏
藤原為憲
桓武天皇 ・・・皇族
葛原親王
多治比真宗 ・・・多治比氏
高見王
平高望
橘枝主 ・・・橘氏佐為流
橘春成
橘氏
平氏


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